「懐かしい光景…」

 住まいは、何より住みやすいことが重要だ、それを実現するための作業はとても大変で、設計者は、住人の断片化している暮らしのイメージや、そこで営まれるはずの暮らしの場面場面を、具体的に想像し、それを建築の言語に翻訳し、具体的な建築的表現を提案する。
  
 だから、その作業の課程で、設計者が、解決すべき問題は膨大で、それをたくさん見つけることができればできるほど、設計の作業はより濃密になり、結果住み良い住まいが実現するものと思う。

 今回竣工した、丸子・赤目ヶ谷の家の住人は”広い土間と縁側のある家、昭和40年代の家”というイメージと、住まいには、単に自然素材を使いたいという希望、さらに、自分で切り出した木を使いたいという具体的な思いを抱いていており、塗装や土間の施工などは、自分たちで行うことをいとわないかった。
 

  赤目ヶ谷の家は、住まいの真ん中を土間が貫いている、土間は、通路であり、くつろぎの場であり、接客の場ともなる、融通無碍な空間となることが期待されていた、事実、竣工後訪問すると、自然の仕草で、土間と座敷の境界の敷居に腰掛けてしまった、そして土間は接客の場所となった。

 
 実際、住人によると、土間を中心とした空間は、食堂や居間、階段、水回りなどと、視覚的な連続性つくりだし、その広がり具合は、予想をはるかに越えて心地良く、一方、再生建具と土間とが創り出す重層的な空間構成は、暮らしの楽しさを高め、なにより懐かしさとエイジングの味わいがある、曖昧模糊とした魅力的な場所だと感想を述べてくれた。
 当初の目論見どうり、心が和む、何とも不思議で、懐かしい空間ができあがったといえる。

 住人のこれらの感想は、住人はあまり意識していないかもしれないが、土間にしつらえたシークエンスに影響されているのかもしれない。
 シークエンスとは時間の変化をデザインするとき使う手法の一つ、たとえば、一歩一歩と歩を進めるに従って、景観を変化させ演出することで、空間にリズムと変化を与え、心地よさをつくりだす時間のデザインのことだ。

 赤目ヶ谷の家では、家の中心を貫く土間は、重層的に建具によって仕切られている、玄関から、格子状の板戸、無双の板戸、そこを開け放すと、格子戸、ガラス入り板戸と視覚と空間のサイズを変化させながら連続し、さらに階段が斜めに空間を切りリズムと変化をを与ていて趣がある、土間の土がこれをより引き出していると感じた。



  ここは新興の住宅地なのに、東南の角地に立地しているため、建具を開け放すと、周辺の茶畑や木々が、パノラマで借景となり、とても気持ちが良い、少しあけすけで、困ってしまうぐらいだ。
 建具を閉め切れば、また、違う表情が出現する、僕らの親たちの記憶にある、懐かしい暮らしの世界、昭和の初期を彷彿とさせる空間が出現する。 

 そんな暮らしや空間を知らない、子供たちさえ、居心地にの良さに、つい羽目を外してしまう、そんな場所ができた。


   
 過日、住人は通過儀礼を行った。
 住人とその友人や家族でおこなった土間の施工がそれだ、気持ち込めて丹念に土間を叩いた、新しい住まいに(新築とは思えないぐらいに、永い時間の積み重ねが醸し出す、熟成の味わいが感じられる)、感謝と魂を込めた。