H邸(神明町の家)建前  

 10月19日〜20日に「時ノ寿木組みの家」=H邸(掛川市神明町=今後、神明町の家と呼ぶ)の建前が行われた、おかげざまで天候に恵まれて順調に進み、20日に棟上げを行うことが出来た。
 
 時ノ寿木組みの家は”渡り腮+貫構法+土壁”の木組み家です。
 ”渡り腮構法”は、丹呉明泰氏(木構法を熟知した設計者)と山辺豊彦氏)(日本の木造構造家の第一人者)のコンビが、現在の常識を鵜呑みにせず、主宰する大工塾で数々の試験、しつこいまでの実験をくり返し解析した結果、現在の時点で解として提示している構法であり木造住宅をつくる方法論です。
  ”渡り腮構法”は木の特性を活かし、且つ、構造表現主義に立脚した合理的架構であり、耐震性の観点からも十分な安定性を有していると考えています。
 ”渡り腮構法”に関しては、大工塾の内容(講義や実験・試験)について、今後ゆっくりと時間を取り予定です。
 
 神明町の家の建て前は3回ほどに分けて報告します。

 よって”高気密高断熱でなく低気密高蓄”の核心、なぜ低気密高蓄熱かについてお話はその後となります。

西行忌

”ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎのもちづきの頃” 西行

 新暦3月15日(旧暦2月16日)は、西行(1118―1190)が没した日、ご存じのように西行は、平安後期の歌人で、俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)

 NHKの大河ドラマ平清盛”でも描かれていたが、御所を警護する精鋭部隊である北面の武士に選ばれる名誉によくしながら、22歳で出家したその潔さに惹かれる。

 東大寺の南大門を再建した俊乗房重源との約束によって、大仏再建の勧進のために陸奥におもむいたと言われているが、重源と同時代に生きたのかと思うとき、行基菩薩、宇佐八幡、桓武天皇東大寺の創建に関わった人々を思い出す。

 西行陸奥におもむく途中、鎌倉で源頼朝と会っているとも言われている、どんな話をしたのだろうか。

                合掌。

雪景色:太郎坊宮  

 太郎坊宮は正式名称は阿賀神社というが、地元の人は太郎坊さん呼んでいる。
太郎坊宮の鎮座する太郎坊山は典型的な神奈備山、見る方角により見事な三角形の太郎防宮のご神体、太郎坊は神社を守護している天狗のこと。
 太郎坊宮は言わずとしれた「神体山信仰・磐座信仰の発祥の地として有名、祭神は天忍穂耳尊
 しかし残念ながら、滋賀県では何十年ぶりかの11月の雪で太郎坊山をかいま見ることができなかった。
 一方、太郎坊宮では僕達だけの時間を持つたり(これは貴重な時間となった)、紅葉と舞い散る雪のコラボレーション、雪化粧した蒲生野の景色など、普段では見ることが叶わない景色と時間を持つことができた。


本殿から見渡す、厚く雪雲がたれ込め、白く雪をかぶった
蒲生野(額田王大海人皇子の間にかわされた万葉集・相聞歌の舞台)

  
近江の高天原との別名もある、高さ10数mの夫婦岩:邪心を持つ者が通ると、隙間(80cmほど)
岩が閉じてしまうと言われている。


二つ岩に挟まれた参道の先に本殿がある。


紅葉と降り下りる雪の風景

竹の春

 竹は春、筍のできる時期に竹は栄養を奪われ衰え、秋、ほかの樹木が落葉し始める時期になると生気を取り戻し青々と茂る、そんな様から「竹の春は」秋の季語。

 昔から「木六竹八塀十郎」と言われ、この「竹の春」の新暦9月は竹を伐るいい時期だ。

 9月の秋分も昏れる30日に、来年の小舞竹用に真竹伐りを行った、一般に小舞用の竹としては3年から4年で、肉厚も薄く、節の高さ(出っ張り)が小さい方が良材と言われるが、言うほど選別は易しくなく、取り出した竹には、かなり肉厚で節高の竹もあった。
 2時間ほどで、1間半の長さの真竹を100本ほど収穫。


 しかし、先人の言い伝えは理にかなっていると実感したのは、割竹の作業の時、節高の竹は、竹を割ったり、そいだりする作業はかなり大変で、結局、台風にせき立てられように作業は午前中で終了。

 又、来週ねσ(゚ー^*)、とは言っても明日じゃん(m。_。)m オネガイシマス

秋分の真竹伐り  

9月23日頃は秋分、夜と昼の長さが同じになる大事な一日、又秋の彼岸の中日でもありますね。
 一方「木六竹八塀十郎」と昔から言われるように、竹を伐る絶好の時期です、秋切りの5年モノは、虫も付かないと言われてきました。

 真竹は日本の有用竹の中で最もポピュラーな竹ですが、強靱で緻密であるばかりか、弾力性と粘りの強さは、世界の竹の中でも有数と言われています。
 先達たちも、その竹の性質を見抜き、建築に限らず工芸や日常品に数多く使われてきました。
 ”時ノ寿木組の家”では竹小舞+土壁はスタンダードな仕様です、今建設中の時ノ寿工房も土壁です。
 そこで来る9月23日の秋分の日に真竹伐りを行います。

これから土壁やりたい方、興味のある方の参加できます、下記に連絡ください。 

秋分の真竹伐り 日時 9月23日(日曜日) AM 9:00〜PM 3:00
 場所 掛川市倉真青田(Map参照

希望の森プロジェクト

 NPO法人時ノ寿の森クラブでは、来年6月までに掛川市各地で連続植樹祭を進めています。
第一弾は津波から暮らしを守る、「森の防波堤」を掛川市浜川の防災林で、1400名あまりの参加者を得て植樹祭を開催しました。

 続いて第二弾は、袋井市掛川市が合同で運営する全国初の新市民病院で、10月27日(土)に行います、この植樹祭はあくまで両市と両市民が主催ですので、私たち時の寿の森は共催という形で参加します。 
 今回の希望の森プロジェクトの植樹祭は終了後”ふるさと”の大合唱も予定しています、是非参加してください。

 植樹祭の翌日(10月28日(日))は「希望の森とまちづくり」というタイトルで、森とまちづくり、市民協働のまちづくりのシンポジューム開催します、こちらも合わせて参加よろしく。\(^_^=^_^)/ ヨロシク♪


 また、私たち時の寿の森は、福島県川内村で一昨年の9月に開催された「第一回川内村・いのちの森づくり」に参加したことからと交流が始まりました。
 しかし、昨年の福島第一原子力発電所の事故により、全村避難を余儀なくされるという過酷な状況にあります、幸い8月以降、村のほぼ半分の地域は帰村が可能になりました。

そんな況の川内村にエールをおくる意味で 、今度の植樹祭には川内村の子供達を招待しました、是非彼らを勇気づけてください。

 [http://www.shimizu-arc.jp/sidemenu/2012/stei/kibou.pdf:title=希望の森プロジェクト及び「希望の森とまちづくり」シンポジューム]の詳細はこちらで

時ノ寿・木組の家譚   

 このほど”時ノ寿・木組の家(木材コーデイネーターが繋ぐ木組の家)”が地域型住宅ブランド化事業(国土交通省:提案した内容で住宅を建設した場合には、対象住宅の建設工事費の1割以内の額で、かつ対象住宅1戸当たり120万円を上限として補助される)に採択されました。\(^▽^)/

 ”時ノ寿・木組の家(木材コーデイネーターが繋ぐ木組の家)”は、僕とNPO法人時ノ寿の森クラブと協働提案だが、森林・里山再生、地域再生に取り組むNPOが今回のような事業に参画することは珍しいのではないかとも思います。


 そこで、このブログでは、その経緯と”時ノ寿・木組の家(木材コーデイネーターが繋ぐ木組の家)”仕組みや特徴について記(6回に分けて)すので読んでいただければ幸いです。


時ノ寿・木組の家譚・プロローグ 

掛川在住の松浦さんは36年前の昭和50年に廃村となった村の最後の住人、「人の去った里山は荒廃する」という、当然だが悲しい現実を目の当たりにした当事者でもある。
 その里山とは「時ノ寿の森」と呼ばれ、太田川の支流である倉真川の源流部を含む25haほどのエリアをさす。


 
 ”源流部の森林の荒廃は、海までつながる流域全体に影響が広がり、ひいては後世まで大きなツケを残すことになる”そんな危惧を抱いた彼は「未来の子供達に豊かな森を引き継ぐ」ことを活動の理念に据え、賛同する有志を募り、里山・森林・地域再生に取り組む「時ノ寿の森クラブ」を平成17年に設立した。

 

 その後、「時ノ寿の森クラブ」は、拡大した会員数や事業に対応し、明確な組織として社会的使命を広げていくために、NPO法人格を得て「NPO法人時ノ寿の森クラブ」となった。


 続く。