建て前と神事

passarella2008-11-18


 S邸の建て前も無事終了し、登梁の取り付け(毎度のことながら時間がかかった)以外順調に行うことができた。
 
 今回は、棟上げに際して神事を、近くの龍尾神社にお願いして執り行った、地鎮祭や起工式で神事を執り行う際に、神主さんとは会う機会が多いが、余分な話をすることもないが、今日は、神主さんが工事の進行より早めに現場に到着し、棟上げまでにまだ時間あり、手持ちぶたさの様子だったので、少しとりとめのない話をする機会を持った、時間にして15分程度だが興味深い話聞くことができた、
 
神社には神が祀られている、でもどんな神さんが祀られているか知らないし、興味を抱く方も少ないのではないか、今回お願いした龍尾神社は、素盞鳴尊スサノオ)を祭神とし、櫛稲田姫尊(クシナダヒメ)とその御子神をともに祀っている、古くは「龍尾山牛頭天王」と称しており、掛川城の北東(鬼門)に鎮座し、掛川城の守護神として、山内一豊を初めとする歴代城主から崇敬を受けたそうだ。

 実は僕の居住地の字名が”牛頭”と書いて”ゴウズ”と読む、龍尾神社の古名が「龍尾山牛頭天王」神社と聞き、きっと関連があるのだろうと神主さんに尋ねた。

 牛頭天王は、牛の頭を持つインドは土着の悪神だったが、仏教に帰依してお釈迦様の聖地、祇園精舎の守り神になったと伝えられている、牛頭天王は日本に渡り、平安期には疫病を鎮める神として信仰を集めたらしい。

 掛川市字牛頭でも、かつて古き時代に、何かの病が流行したさい、牛頭天王を祀って、病気平癒を祈願したのかもしれない。

 


 龍尾神社の縁起には、天然痘が流行した際、病気平癒を祈願して、大己貴尊(オオアナムチ)を勧請したと記録があるり、境内には「大己貴尊(疱瘡神社)」という末社が祀られている。

 ちなみに、大己貴尊は大国主命のことで、素盞鳴尊と櫛稲田姫尊の子供と日本書紀にはある、素盞鳴尊は出雲の須佐地方の地方神だったが、牛頭天王祇園信仰)信仰と融合してメジャーになったようだ。