伊勢神宮

passarella2009-09-01


 
「何ごとのおはしますかは知るらねども かたじけなさの涙こぼるる」
鎌倉時代の僧侶にして歌人西行法師は伊勢の内宮の前で詠んだ。


 これを宗教学者山折哲雄氏は
 …森羅万象の神の気配を感じ、思わず畏敬の念をもよおす「森の民」としての日本人の感性と自然観を詠んだ歌……と述べ。


 一方、藤谷・直木氏は、「伊勢神宮は、日本人なら一生に一度訪れる、信仰のメッカ」「…ずっと日本の最高の聖所であった」…伊勢神宮:藤谷俊雄/直木孝次郎. 三一書房 と言い、その視点から神秘性こそが伊勢神宮の神聖を守り高める方法ではないかと論じ、西行の歌はその辺の事情を良く言い表しているているのではと述べているが、その昔、江戸時代には、外玉垣をくぐり内玉垣御門(外から玉垣、外玉垣、内玉垣、瑞垣の4重の塀で囲まれている)で参拝したらしい、さらに古殿地でさえ間際に見ることが出来たようだ、神秘性を保ちながらも、現在よりぐっと開放的だったことは想像が付く。

 
 十数年ぶりに伊勢を訪ねた、外宮を先拝すべきところ時間の関係で内宮に一直線、五十鈴川にかかる宇治橋は工事中で、脇に仮設の橋が架けられいた。
 表参道を進み、第一の鳥居をくぐると、伊勢の神域は神聖さ増す、御手洗場を右手に見ながら参道が左にカーブする頃から鬱そうとした森の間を砂利を踏みしめながら歩く。

 古殿地を左手にして進むと、一番外の塀の玉垣にいたり、玉垣御門をくぐり外玉垣御門前で参拝する。

  




 内宮正殿は拝むことが出来ないので、裏参道の御稲御倉を見て、別宮の荒祭宮を参拝した御稲御倉の建築様式は内宮正殿と殆ど同じだから、内宮正殿を拝むことの出来ないストレスはここで発散。

タイトル画像の出典:建築と伝統 川添登 彰国社