熊野:花窟と産田神社

passarella2009-10-05


 熊野という言葉に、不思議な感情が湧き上がり、不思議な力に惹きつけられる、伊勢を含むこの一体は、日本の聖地と言っても過言でないかもしれない。

日本書紀
 伊奘冉尊、火神・軻偶突智(カグツチ)を生む時、灼かれて神退去りしましぬ、故、紀伊の国の熊野の有馬村に葬りまつる、土俗(クニヒト)その神の魂(ミタマ)を祭るには、花の時には亦花を以て祭る、……とある。

 熊野市有馬町に鎮座する産田神社の縁起には、伊奘冉尊が軻偶突智を生んだので、産田たと名付けたとあった。
 この産田神社がさらに興味深いのは、神事を執り行う祭の臨時の神の依しろ…元々日本の神は、すがたかたちはがなく、祭りの時だけいずこと無くやってきて、木や石に依りつくと考えられていたと川添登氏言う…である神籬(ヒモロギ)の跡が残されているらしい、らしいというのは、残念ながら、神籬の跡は板垣に囲まれていて、中をうかがい知ることがかなはないので。

 写真にあるように、今は社殿と玉石が引き詰めれているが、祭りの場所も、かつては社殿もなく、神籬の存在が、聖域であることを示していたにすぎないのだろうか。

 産田神社に訪れた際は、すでに3時過ぎ、雨に打たれる中での参拝だったが、神社には我々の他誰一人訪れるひともおらず、廻りは住宅がすくなからずあり、神域も小さく、参道もわずか20mほどにも関わらず、凛とした空気が漂い、居ずまいたださずにはおれない雰囲気に緊張した。

 産田神社の近くに、伊奘冉尊が軻偶突智の墓所と言われる有名な花窟がある、埋葬された伊奘冉尊を近隣の住人たちは、季節の花を供えて祭ったと記されている、ここも特別な場所だった。