熊野:岩の聖地:花窟

passarella2009-10-07


 花窟は、日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれ、伊奘冉尊が軻偶突智の墓所として伝わっている、花窟では年2回「御綱掛け神事」と呼ばれる例大祭が行われるが、秋の例大祭は10月2日だ。

 僕らが花窟を訪れたのは2日、この日は朝から雨模様で、海岸線は海岸線は水際まで崖が迫り、道と言えばこの際を縫うように走り、時より激しく降る雨で視界はひらかず、ノロノロ運転、難儀を極め、朝7時に掛川出発も熊野到着は午後も1時頃の6時間の旅となった。


  


 だから「御綱掛け神事」はすでに終了していた、写真の網掛けの飾りは、岩に近い方から天照大神、月読神、スサノオのミコトだそうだ。 

 


花窟は国道42号線の脇にあり、通行量も多く、車の騒音が響いていた。 でも、石の鳥居をくぐるとそこは、別の世界の感覚がありあり、神域の樹木が国道からの騒音と視線を遮り、30mほどの参道の先の岩に意識を集中させる。

 花窟のご神体は岩、崖一面の高さ約45mの岩、特別な岩であることは、近づくにつれすぐわかる、神秘的にも感じさせる岩、この特別な岩を磐座といい、古代人の岩への信仰の深さを感じさせ、日本書紀よりはるか以前から信仰の対象だったと聞く、花窟は神内神社や神倉神社と伴に、今なお神殿を持たない、古い信仰の形態を色濃く残している。

神を感じたくなりお祈りの後、岩に触れ、意識を集中した。

 宗教人類学者の植野啓司氏は、「神を感じるとは、何かが自分の中に入ってくること、自分がマイナスにならないと神の入り込む余地はない、普段のプラスをやめなければならない、そのためには、話をしない、お願いをしない、触る、気圧を感じる、湿度を感じる、匂いを感じる、風を感じる、感覚をひらく、そして、目の前の物だけを見ないことだ、そうしないと何が変化したのかを感じることがでできないだろう。」と言う。