千葉山智満寺Ⅱ

passarella2005-02-05

 再度訪れたのは2月に入ってから、2月に入って日本列島は寒波に襲われここ温暖で知られる静岡の遠州地方も寒い、久しぶりの風花にも見舞われた。
 そんな寒さの中、智満寺はひっそりとしていた。
 参道に続く石段の脇に小さな滝があり、そこには開山1200年とあった、1200年と言っても天台密教のお寺ではきっと珍しくないのだろうと一人物思いに老けていると、中高年の団体さんが騒がしく脇をいく、はじけていた。
 思い直して、急な石段を登り一息つく頃が仁王門だ、4隅の柱は大面取りの方柱、6角形に見える、方柱に切り面を取るのは和様の特徴だ、面取り柱の現存の例は平安時代後期と言われているが、ここ智満寺も711年の開山だから平安の時代にあたる、ちなみに平等院鳳凰堂の方柱は五分の一に近い大面取りといわれているが、ここ智満寺は四分の一ぐらいの面取りだ、力強さが出ていて気持ちがいい、風雨にさらされるので、足下は継いであった。
 前に来たときは気が付かなかったがよく見ると、屋根は寄せ棟、茅葺きの簡素な造り(ここまでは前回報告済)柱は礎石の上に建ち、棟には置き千木が棟木を支えている、寄せ棟はこの時代好んで造られた屋根形式らしい。
 和様とは、古建築入門講話:川勝せ政太郎著によると、はじめ(飛鳥時代あるいは奈良時代)は外国(朝鮮や中国)からきた様式だが、とにかく日本で古くから行われてきた様式という意味で和様と名付けられているらしい。
 またこの本では「鑑賞の順序」としてすぐにあまり近寄って細かいところだけを見たり、近くまで車で乗り付けて息せき切って見ることは、山を見ずして枝を見るがごとく、古建築の本当の姿を見ることができませんよと言っている、その言に従うと、千葉山の麓より曲がりくねった山道を、四季の香りと、風を感じ、期待を抱いて詣でるのが本当かもしれないが、何せ車でも20分ほどの山道と考えると脚が進まないのだ。
 しかし、先ほどの中高年のご婦人方の一行は徒歩でやってきたらしい、身繕いも本格派、だが、かしましいのは正しいのか正しくないのかは「鑑賞の順序」では言及していなかったが。
 ということでこの続き(本堂、奥の院日吉神社、千葉山の10本杉)は次回とします。