千葉山智満寺Ⅲ

passarella2005-02-06

 仁王門をさらに10段ほど上るとそこが智満寺、本堂が迫る。
 古建築それも寺院関係を見る時は、伽藍配置をしっかりと知っていなければならない、ご承知のように、中門・回廊で形成するエリアに金堂(本尊の仏像を安置する建物)、塔(仏舎利の置かれる建物)、講堂(僧侶が経を講ずる建物)、鐘楼、経楼、僧房のいわゆる七堂の配置の構成を伽藍配置といいますが、たとえば有名どころでは、中門・回廊の南北中心軸上に塔、金堂、講堂と配置された構成の伽藍を四天王寺式といいますね、中学校で習った記憶がよみがえりますね。
 これをふまえた上で、この智満寺を見ると、中門の中心軸上に本堂(金堂と講堂が一緒になった建物)、その中心軸上の左右に塔があり、右手に鐘楼という構成、いわゆる回廊はない、四天王寺式、飛鳥寺式、法隆寺式などの伽藍配置は、大陸から日本に仏教が入ってきた奈良時代の基本的な構成で、その後アレンジされて今日に至っているということが解っている、さらに「日本建築史序説」太田博太郎著によると、平安時代に入り天台宗真言宗密教では多くが山地に伽藍が造営されたので、山地伽藍と呼ぶ、従来のように均衡のとれた配置を取ることが不可能になり、自由に配置する山地伽藍の構成が自然になった、となればこここ智満寺は紛れもなく、その山地伽藍の趣向がある。
 山地伽藍の特徴は、自然に囲まれた建築は自然と対抗し、競うことでなく、伽藍そのものが自然の一つの点景にすぎないと言う意識である、だから平安時代以前の人間の恣意的な創造物の美、仏教伽藍の荘厳さと、構成美の表現でなく、そこには自然と寄り添う日本建築の美がある……ということになるのだろう。
 密教建築の大きな特徴がもう一つある、本堂の出現だ、最初礼堂(らいどうと読む:礼拝の場で)が金堂の前に建てられ、やがて金堂と一つの屋根の下に収まり、現在各地で見られる天台・真言密教の本堂ができあがったとされている、礼堂は衆僧及び氏人の座すなわち俗人のための建築、ここに仏だけの、そして悟りを求める僧侶だけの金堂から、人々の礼拝するための建築が出現し、より仏教が身近になったという。
 今日はここまで。