本堂の形式と名称

passarella2005-03-05

智満寺Ⅲでは伽藍について、つたない文章を書き込みました、今回は本堂の形式と名称について、少し勉強したので書いてみたいと思います。
 「古建築を見るには、まず第一に建築の形式と名称を知っておかなければならない」とは川勝政太郎氏の言葉、まあたしかに、建築に限らずどんな分野でも、専門用語を理解し、歴史(時代背景、由来など)を知ることは、その分野の全体像を理解するための必須条件ですね。 
 本堂は写真でも解るとうり、入母屋造りです、入母屋造りの成り立ちは、寄せ棟の上に切り妻屋根を置いてできたと言われていますが、その変遷を良く表しているのが錣葺きだ。
 錣葺きは屋根の流れを連続とせず上と下で不連続に屋根勾配を替える葺き方で原始的と言われている、ちなみに法隆寺の玉虫厨子の屋根は入母屋錣葺きです。
 もう一つ、見るべき特徴は、破風の大きさ、破風は妻の位置が外のあるほど棟は長くなり破風が大きくなり、重厚感が増す、反対に中にあると、屋根は小さく軽くなる、智満寺は見る限り外壁の位置に妻があるので、大きい方と言えるかもしれない、平安時代までは妻がかなり中にはいいて、屋根を軽く見せようとしていたようだ。
 写真でも解るが、向拝は禅宗などの向拝に比べ小さく、屋根の勾配も違っている、掲載した写真では見えないが、化粧垂木がsの字状に湾曲している、凹状の化粧垂木は良く目にするところだが、sの字状に湾曲していなんては初めてです、一見の価値有り。   
 妻飾りと(破風の壁面を飾るのを妻飾りと呼び、小屋の形式がそのまま妻に現れるのが本来の形式といわれている)、棟木の端を隠すし風化から守る目的の縣魚(形が魚を懸けたように見えることから懸魚と呼ぶ)を見てみよう。
 妻飾りは虹梁大瓶束(何こっちゃかわからない方がほとんどでしょうが、実は僕自身もこの形式をわかりやすく説明できほどの知識がないのであしからず)で、小屋の形式が良くわかる初期の形と言える。
 縣魚はわからない、本によると、梅縣魚鉢、猪目縣魚、蕪縣魚、三花縣魚などとあるが、猪鼻かな?、何回見てもわからない。
 ここまで書いて四苦八苦、古建築鑑賞って忍耐が入りますので、続きは(続きを書けるかどうかわからないが)後日。