歴史と記憶を詰めた小冊子

passarella2005-04-11

 過日(株)ブルックスタジオのFさんより、ブルックスタジオの歴史と記憶を詰めた小冊子をいただいた。
 小冊子にはスタジオを主宰するFさんの手書きの便せんが添えられており、そこにはブルックスタジオが産声を上げて18年たつこと、ブルックスタジオの意味が「小川の仕事場」であることが述べられていた。
 思えば、彼との出会いは、もう15年ほど前になるだろうか、とすると出会った当時はまだスタジオ設立の直後であったはずなのに、僕の記憶ではすでにデザインの第一線でオピニオンとしてその才能を発信しおり、僕自身もかなり触発された思いがある。

 小冊子は、丁寧に練り上げられた言葉と、18年間の数々の仕事が紹介されていて、洗練された一冊に仕上がっていた。
 小冊子の中にこんな文章があった。
 「……流れとは、絶えず変化することを意味し、そこに止まらずやがて大きな流れへとつながっていきます。しかし、その変化とは決して何の理由もなく、自然にまかせて変わっていくことを指していません。」
 ここで突然ですが俳諧の巨人、松尾芭蕉の不易流行という説について考えてみたいと思います。  

 芭蕉俳諧の作風が一変したとされる”不易流行”という考え、西行の足跡をたどる旅、いわゆる「奥の細道」で、芭蕉俳諧とは詩的生命の基本的永遠性を有する体である”不易”と、詩における流転の相でその時々の新風の体としての”流行”、この二体は共に風雅の域から出るもので根元においては一に帰すべきものだという不易流行の説に思い至ったと述べています。
 でも、この説明ではどうもわかりにくいので、井本農一氏「芭蕉入門」の言葉を借りることとします、”俳諧はもとより全て芸術の根本には、時代を超え、芸術の種類を越え変わらない一貫したものがある、それは芸術や俳諧の本質的なものといえる、これが不易である。
 しかし、不易なものは抽象的だから具体的な作品として現れるとき、作品に作者の人格や思想、人生観など芸術に対する考えが色濃く反映するはずであり、作者の独創的発想や表現があって初めてその本質的なものが現れるといえる、時代と共に動き、常に新しみを求める、それが流行です。”
 では不易流行の説の具体的展開として芭蕉はどんな俳句を発表したのだろうか、不易流行の説は”流行”に重点がおかれ、流行は新しみの追求となって現れる。

「只、日々流行シテ日ニ新タニ、又日ニ新タナリ」
 
新しみとは、第一に観念的ででない、理屈でないこと、第二に風流ぶったりしないこと、第三に故事や古典に寄りかかることのないこと、だと述べている。
 ここにきて、やっと何を言おうとしているかが、薄々判りかけてきたのではないだろうか、先の三つとも表現者の陥りやすい罠と言えるのではないでしょうか。
 観念的で理屈っぽい表現は墨守に陥り、風流ぶった表現はわざとらしく感じ共感を覚えない、故事や古典に寄りかかると停滞しマンネリ化し失笑の対象になる、「日々流行シテ日ニ新タニ、又日ニ新タナリ」。