ノーマルシー・バイヤス 

A女史は僕らと同じ掛川FPのメンバー。
彼女の行動力にはいつもびっくりさせられる、今回は中越地震にボランテイアで参加した話だ、しかも彼女はただで起きないタイプ、ボランティアで中越に行きながら、常にFPの視点を持って行動していたらしく、現地の住民の被災生活の生の声を取材し書き留めていた。
 その行動力が認められたのか?わからないが、何箇所かで現地の生の声を反映した報告会を要請され、そこで練習を兼ねて掛川FPの定例会で報告を行った。
 
 静岡県はいつ発生しても東海地震の真上にある、だから静岡県も危機感を持ってずっと
対策を講じている、その思いに反し、TOUKAI-0と命名した政策はしかし思わしくない。
1981年以前に建てられた住宅は特に耐震性が低い、だからこの住宅の耐震補強が地震への備えの重要な課題だ、静岡県は、1981年以前に建てられた住宅の耐震補強工事に補助金を出して住宅の耐震化を進めようとしているが、刻々として進まない、住民の反応が鈍いのだ。

 ノーマルシー・バイヤスとは、”自分だけは大丈夫”だと思う気持ちを、防災の世界ではこう言う、正常化偏見という意味だ、阪神・淡路大震災を、中越地震を、スマトラ沖地震を、TVを通じて映像で視覚的に訴えられても、自分のこととしてに置き換えられない、いわばバーチャルな世界を見るがごとく現実感がない、食糧備蓄も大事だが”大地震の一撃から身を守る”ことができなければ意味を成さない。
 
 しかし、現在の事前耐震改修支援策も問題ありだ、地震によって大きな被害を受けたとき、その復旧は大きな費用と時間を要するし、震災後の被災者支援策も十分とはいえない、
財政上それを許さないはずだ、阪神淡路大震災がそれを物語っている。
 震災後にこの費用と時間をかける覚悟があれば、事前の対策をもっと手厚いものにしてもいいのではないか、それでもきっと復旧の費用に比べれば格段に小さいはずだ、さらに言えば、「耐震化補強しないと危ないですよ」と悪徳訪問者が跋扈する環境をつくってしまっていることも大きな問題だ。
 そこで、僕は「報告会では是非この点を言ってほしい」とA女史にお願いした。
 
 ノーマルシー・バイヤス、振り込め詐欺を見ればこの”自分だけは大丈夫”という思い込みはいかに根拠がないかわかったはずなのに。