建築基準法は守るべきルールの最低基準

 前回のブログ”建築士制度と下請け”で建築士がフリーハンドと確保し、建築主の立場で業務を行う時、初めて構造の安全性を含んだ建築の品質を確保できるのだと書いたが、しかし、こんな疑問も当然湧くだろう、それでは、建築主の利益を守ることを第一義に考えるあまり、建築主に迎合してしまわないかという疑問だ、今回の構造計算偽造問題に代表されるように、ヒューザーのような建築主(利益を優先し、安全性は二の次あるいは安全性に鈍感)の意向を受け、建築基準法をスレスレあるいは逸脱、見逃して設計したり、または、法の抜け道を探って設計しそれを正当化してしまう、そんな建築士の存在だ。
 この時、当然だが、建築は販売側:建築主の利益が優先され、購入者:消費者の利益の確保は優先度が下がる可能性が高い。
 
 しかし、問題はもっと深い、というのは、居住者や住民が最後のよりどころと思っている法・建築基準法の不備だ、ほとんどの方が理解していないと思うが、「建築基準法は最低の基準を定めているにすぎない」ということだ。

 建築基準法第1条第1項で「この法律は、建築物の敷地、…(中略)…に関する最低の基準を定めて、国民の生命、 健康及び財産の保護を図り、持って公共の福祉の増進に資することを目的とする。」と定めている。 
                    
 建築基準法は守るべきルールの最低基準を定めているにすぎない、だからこの基準を理由として建築の質を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るよう努めなければならないはずなのに、建築基準法をクリーするばOKであるとか、守るべき最高の基準とし、それで必要且つ十分だと考える姿勢だと、欠陥だらけになってしまう可能性があるということだ。
 そして、この最低基準は建築士の役割も左右する、基準法を守るべき最高の基準と考え、これさえ守ればいいと、これさえ守れば後はとがめられることがないと考えて設計するか、文字通り最低基準として、これだけでは安心・安全・快適性は守れない、良い居住環境を創るの建築士の役割であり、その上で法を遵守するが大切と心がけて設計するか、この判断の違いは大きい。
 
 前者は姉歯氏に限りなく近いし、視線の先は常に建築主の利益だろう、他方、後者は姉歯氏の対岸にある、そして建築士の視線は建築主の利益と居住環境や周辺環境との整合性と親和性をどう創るかに向けられているはずだ。
 信頼できる建築士とは、後者だと僕は思う、基準法の最低基準をどう考えるかが、信頼できる建築士かどうかの判断の指標になるといっても過言ではない。

 もうおわかりと思うが、建築基準法の不備とは
 「建築基準法は建築主の財産権が優先される傾向にある、最低基準とは建築の自由という、財産権をどう制限できるかとい線引きであり、居住者の保護という観点・生存権は直接 的な表現で示されていない。」……‥平出小太郎「東京大学助教授」建築雑誌2004・12
という基準法に込められた姿勢だ。