建築士の規範

2005年ももう少し、今年もびっくりする事件が多かった、僕にとっては、構造強度偽造事件は特に注目に値する事件だった(まだ進行中だが)。
 この件に関し、先のブログ「建築士制度と下請け」では制度の欠陥を訴え、「建築基準法は守るべきルールの最低基準」では基準法の不備を訴えました、しかし一方で、それでは、いかにも責任転嫁で片手落ちと思い、建築士の規範も述べなければならないと思います。
 建築は建築基準法という法律に準拠します、ですから建築行為(設計・監理)は有資格者(建築士)でなければ業として行えません、一方、建設行為は建設業登録業者であれば、資格は問いません、でも、建設行為を行うためには、設計図書が建築基準法をクリアーしているかどうかの審査、確認申請行為が必要です、この設計図書の作成と確認申請業務は有資格者のいる建築士事務所が行います、そのため建設業者は自社で設計施工を一連として行うために、建築士を雇い建築士事務所登録をしています。
 さてその確認申請行為ですが、今回の事件でもセンセーショナルに取り上げられ、民間の建築確認審査機関の審査能力の低さが、事件を拡大させてしった張本人のごとく取りざたされました。
 もちろん、このことに関しては、実効性のある確認審査の履行が必要であることは言うまでもありません、しかし、一方我々有資格者である建築士の設計・監理の役割は、確認申請を通すことが目的ではないでしょう、設計・監理の役割は建築基準法の第1条でうたわれている法の理念、精神、すなわち、建築物に住まう人々が、安全で、健康的で、文化的な暮らしが営めることを確保することが目的だと思います。
 また、たとえば、設計上構造的な安全性に問題があって、住まう人や、住まいに何かしら危険や損害を生じさせたとき、確認が通っているからと、確認申請を審査した検査機関を責めるのではなく、あくまで設計者が責任を追及されるのが筋だろうと思います。
 なぜなら、そのため建築士という特権的な資格が与えられているのです、法の不備や、あいまいさを指摘して、責任を免れようあるいは軽くしようというのは、プロフフェッショナルな態度とはいえないでしょう。
 今回の構造強度偽装事件は、法の遵守意識の低い社会だから起こるべくして起こった事件かもしれません、しかし、今後、建築士という資格者が、自立した大人として自分で考え行動する、あるいはプロとしての規範を尊び行動するという前提がないと、事件で地に落ちた信頼を再び勝ち取ることはできないでしょう。
 いま、僕の耳元では、”所詮青書論、青臭いことを考えずに、もっと上手な生き方をしたらどうだ!”とささやく声が聞こえます。
 ちょっとかっこよすぎるきらいもあるが、新年を迎えるに当たり、初心に返り、このことを胸に刻み込んでおくつもりです。
 今、手元に12月29日付けの朝日新聞があります、この第一面にこんな記事が載っていました。
 『大手ゼネコン、談合「決別」、鹿島・大林・大成・清水の4社が申し合わせ』ゼネコン4社は平年1月4日の改正独占禁止法の施行と同時に法令順守(コンプライアンス)を徹底し、入札談合と決別することを申し合わせていた。
 ……という内容の記事です、この記事を額面通り受け取って良いものかどうかは、もう少し様子を見ないといけないが、この申し合わせは、改正独占禁止法の違法行為に対する制裁が厳しくなったためらしい、こんな談合なら歓迎されるかもしれない。
 建設業界の談合体質は風土病のようなもので、決して無くならないと思っていた、さらに構造強度偽造事件では、建設業界の悪習であり、建築主に対する背信行為と言ってもいい、丸投げについても指摘され、スーパーゼネコンN社の名も噂され”おまえもか”とその闇の根深さが取りざたされたが、のど元すぎればの類いだと思っていただけに、感想をと問われれば”晴天の霹靂”だ言わざるを得ない。
 何か日本的な風土病が代わり始めたのか、これはその前兆か、成り行きを注目したい。