passarella2007-02-19

茂庵へは、麓から4つのコースがあるらしい、僕らの登ったコースは一番代表的なコースだったようだ。
 茂庵への道すがら、町屋風な戸建ての住まいが意図的に連続して建てられていた一画があった、しかし今風の建て売りの住宅地と違い、落ち着いた、簡素な美しさを持った一画だったので、とても気になった…後に谷川茂次郎が開発した場所だと知り、納得することになる…が。
 
 町並みも途切れ、茂庵とかかれたとてもしゃれた看板をすぎる頃から、コースは林の中に入っていく、林の中のすこし登り勾配の小径を進むと、木立の間から茶席・静閑亭が見えてくる、ここで写真を3枚ほど撮り、成果を確認してカメラを終って、顔を上げると、そこには点心席と呼ばれる茂庵があった。…まさにあったと言う感じで現れた。

 雑誌で茂庵の紹介記事を読み、いつか言ってみようと思っていたが、割と早くその機会が訪れた、京都には何度か訪れているが、まさに”市中の隠”を実体験できる場所とは想いもしなかった。
 
 茂庵・点心席の柱は7寸の杉に磨き丸太で、足下には礎石が置かれ、貫が柱を引き通して井桁状に組まれ、楔で締められていた、さすが京都、社寺仏閣ではよく見る構法、清水寺の舞台も柱と貫のサイズは違うが同じように組まれている、清水寺に負けず劣らず力強く、安定感の足下廻りだ。
 
京都を散策していると、あちこちで、伝統の仕口・継ぎ手で建てられている建物を目にする、社寺仏閣のそれは骨太でがっちりしているが、町屋は非常に繊細で、華奢な感じを受ける、静岡人の僕としては”大丈夫かいな!”と思ってしまうことも多々あることも事実だが。
 
 木造の仕口(柱と梁や土台が接合する部分)は互いに木を欠き込んで接合するので、構造的にはどうしても弱点となる、さらにやっかいな点は、木は繊維の垂直方向の力に対して弱く、大きな力が加わるとめり込んでしまうことだ、このことは誰もが経験で知っている。

 現行では、木の接合部が力を伝達するメカニズムが複雑なため(変形とのめり込み)、接合部の応力の伝達率がとても低い、そんなため、木造の接合部は金物で補強するようになっている。

 しかし、木の物性と金物の相性の悪さを感じるのは僕だけでないだろう、さらに最近、伝統的な木造建築に対する評価が、少しずつではあるが、見直しされつつある、近年の研究では、住まいを地震から守る耐力壁は、強さ(剛=金物で補強)を確保するより粘り(柔軟性=伝統的仕口)を確保するほうが人間の生存を助けるのではないかとも言われるようにもなってきた。
 
井桁状に組まれた骨組みは、地震にあって、大きく変形するがグシャとはつぶれない、仕口で組まれた接合部の数を数えれば、きっと数十あるいは百箇所以上あり、地震などの水平力は、この接合部で分散され、大きな力が少しずつそがれ、さらに材同士ののめり込みが地震のエネルギーを吸収し、減衰させる共言われている。

 長い年月を掛け洗練された木組み美しさには、僕らの心を魅了する。
 
 構造的には、伝統的な仕口・継ぎ手で組まれた住まいの層間変位は1/60でも復元するだろうとも言われている、ちなみに鉄筋コンクリートは1/200、在来木造は1/120だ。


茂庵http://www.mo-an.com/index.html:実業家谷川茂次郎が大正末期から昭和初期に造っ吉田山中の茶苑、2階建ての点心席(食堂)