ぼんでん

passarella2007-03-23


 建前の日には、屋根の棟に梵天を奉り、工事の安全と関係者の無病息災を祈る習わしがある。
 ここ時ノ寿の駅もやっと建前の日を迎え、梵天を奉り、安全祈願を行った、待ちに待った建前、施主のM氏の喜びもひとしお、思えば昨年、8月の着工以来7か月、指折り数えてこの日の到来を待っていた訳だから。

 ところで、梵天:「ぼんでん」とは、祭りに際し神霊が降臨するための目標物である依代(よりしろ)のこと、神座としての「ホデ」から由来する言葉で、布製の大きな作り物である御幣あるいは幣束を指していたと言われている。
 日本では古来から、神と等しく交流する場としての依り代を必要とし、依り代を通して人々は、神と交流ししてきた。
 この神の依りつく物実を依り代(中牧弘光:空間の原型 筑摩書房)と言い、古来から神社の杜や、山の大木を依り代として崇めてきたのは、ご承知のとうりです。
 キリスト教に代表されるように唯一絶対神の世界に生きる世界と違い日本は、自然界に神の姿を見ていたということになるのだろう。

 最も多く神が依りつく場所は何処かと言えば、住まいに他ならない、八百万の神は住まいの至る所で、にらみを効かしている、例えば屋根の鬼瓦(魔よけと言われている)、土間には荒神さん、台所にはカマド神が鎮座し、居間にはえびすや大黒さんが祀られている。
 普請、特に建前は、村民がみんなで協力しあって行う、重要な行事と言うか共同作業、依り代を作り、工事の安全と関係者の無病息災を願うことは、地鎮祭と共に、自然と生きる私たちにとって、自然のことだったのでしょう。

建前の最後は餅まき、集まった人たちと喜びを分かちあい、互いの健康を祈った。
った。