通り庭のある暮らし

passarella2007-04-09


 Kさんの住まいの基本設計が完成し、今日、基本計画の説明を行った。
 これまで何回もの打ち合わせの中で、プランやスケッチ、模型、建築材料を通じて、Kさんの想いに対する建築的提案は、かなりの密度と深度が得られたと、自分なりに自信があったが、しかし、その思いも説明を始めると、まあ、毎度のことではあるが、幾つかの事柄で、互いの認識の輪郭にズレがあることを知る結果となることがある。
 
 説明不足、早とちり、思いこみ、都合のいい解釈、自分の思いを優先(やりすぎ)させたりした結果だ、どちらにしろ、認識や、解釈の違いは、ほっておくといつかクレームとなって現れるので、早い時間のあぶり出せれば、大事に至らない、あぶり出す術も、設計行為の中での、重要なリスクヘッジと言える。
 
 話が脱線したが、Kさんの説明会は、3時間に及びいくつか点で、修正を行う必要がでてきた。
 もちろん、それは、住まいの骨格を形作るコンセプトを建築的に表した部分、すなわち”通り庭のある暮らし”ではなく、コンセプトをより効果的に表現しょうとした、表層の操作の部分ではあったが。
 ところで、Kさんのこの”通り庭のある暮らし”とは、住まいの中心を、通り庭(土間)が、背骨のように貫き、暮らし中心としての機能と意味を持たせようと言うものだ。
 
  だから、この土間を構成する、空間の大きさ、建築材料、デイテールは、我々にとって、もっとも重要な要素であり関心事であった。
 例えば、土間に面する建具は、古材の建具の再使用にこだわった、くつろぎの間への千本格子戸と中ガラス付きの板戸は、黒光りしてその存在感は圧倒的。
 Kさんの話を伺いながら、圧倒的な存在感を放つ、それらの建具に負けないように設計に向かわなければと、決意も新たにした。

 特に、Kさんにとっては建築材料は特別重要で、それは、土間がつくられていく過程もが、おろそかにできない事柄となった。
 土間は、昔ながらのタタキで仕上げることに決まったが、タタキを選択したことは、Kさんが住まいと、どう関わっていくかという決意の表明でもあったと思う。