柱信仰

passarella2008-01-31


 僕ら日本人が”木”に対して持つ愛着と感受性の大きさは、他の国の人々に比較にならないほど強いのではないか。
 農学博士の小原二郎は著書「木の文化」中で、日本人と木の繋がりの強さを”その由来は生きた樹木を見て感じる日本人の信仰にまでさかのぼらないと理解できないだろう”と述べている。
 ”我々の祖先たちは、この世に「産霊神」(と書いて”むすびのかみ”と読む)がいて、この神が、住む土地にも、眺める山川草木にも霊魂を与えると信じていた、木にも精霊や霊魂が宿っていると信じていた。”
 こうして、樹木に対する信仰は、伐採され木材となってからも引き継がれ、柱に対する畏敬の念が、我々の体に染みついてしまったのだろう。
 
 赤目ケ谷の家では、建前を前にして、大工が、大安吉日・家運隆盛の文字が朱色に染め抜かれた紙で、柱を包んでいた。
 最近滅多にお目に掛かったことのない光景だけに、懐かしさ(とは言っても記憶も定かではなく、最後にこの光景を見たのはいつかは思いで出せないなかったが。)
もあって、ずいぶんとじっと見いってしまった。
 柱に宿った神が、その霊魂を住まいの中で発散する、諏訪神社御柱祭りは、依り代としての柱の威光をあまねく知らしめる神事以外の何者でもない。
  紙で包むことで、穢れない無垢な状態で建前に望む、この祝いの行為こそ、依り代として、台地に生い立つ命あるもののシンボルとしての柱に対する信仰の現れなのではないかと解釈しているがどうでしょう?