住まいに入魂

  赤目ヶ谷の家は、住まいの中央を、通り土間が玄関から裏庭まで貫き、まさに土間が暮らしの中心となる。 
 土間は、町家の通り庭のイメージだ。
 当初から住人のイメージは、土間のある暮らしだった、いくつかのプランの変遷の結果、中央を貫くプランが、最後に残った。

 土間が住まいを貫くという、かなり強烈なプランであるため、いくら 住人が賛成しても、土間を造る材料の選択を誤れば、暮らしそのものが瓦解しそうな危惧はなくはなかった、が、当時土間を三和土で叩いた住まいを建設中だったので、このプランが進展していく中、土間は三和土だなという気持ちがあり、巧く行くだろうという確信はあった。

5月3日のゴールデンウイークの中盤に満を持して、三和土の施工を行った。メンバーは10名(子供を入れると16名)、と当初の予想をはるかに上回る人が参加してくれて、三和土の施工は順調に進み、これも予想を反して一日でほぼ完成した。


 もちろんまだ、叩き足りない面があり、まだまだぼこぼことしているが、暮らしには支障は無い。
 支障はないと言うより、これでいいのだと思う、最後の仕上げは住人が生活と平行しながら叩いていく、あるいは暮らしの中で、幾度と無く踏み固められて行くだろうから。

 大型耐久消費物に成り下がった、昨今の住まいでは、完成すれば後は、手入れをせずに、決して老朽化しな、変化しない、いつまでも新しく見えることを美とするが、考えても見れば、どんない科学技術が伸びようが、物質は変化し、老朽化する。
 であれば、時間と共に、より美しく変化し、味わが深まる住まいを造りたい、、暮らしと共に、、味わいが深まり、より美しく熟成して行く、これこそ、かつての日本の暮らしや家屋が持っていた、エイジングの美、永い永い時間の積み重なりが創り出す、古びる美なのだと思う。

 住人が、このエイジングの美ある暮らしを望むなら、僕らのできることは、時間美が重ねられるような形態と素材の選択を間違わないことだ。

 それにしても三和土は身土不二を身に纏っている思う、とうのも、時ノ寿(大沢の家)の土間は、艶があり、神々しさがあり、静と聖を感じさせたが、ここは、温もりと柔らかさのある土間に仕上がった、どちらも土地に根ざした土を使った、土の違いは、その場所の持つ個性、場所の持つ可能性の違いと言うことだろう。
 赤目ヶ谷の家は今日、三和土の完成で、住まいに魂を込めることができた、住人の一叩き一叩きには、暮らしと家族の健やかな成長の願いが込められていた。