passarella2008-10-24


土をこねて整形して焼く…瓦の製造過程を言葉にすると、なんてシンプルなんだろうと思う。
 瓦は仏教と共に(正確には寺院と共に)、百済を経て中国から伝来した、井上靖歴史小説、「天平の甍」の映画が描いた唐招提寺の瓦屋根の姿(甍)、凛として立つ鴟尾と波打つ瓦が響き合い、繊細で美しい光景を今でも脳裏に浮かべることができる。

 蘇我馬子飛鳥寺を建立したとき百済から瓦工が招集され、日本で初めて瓦が製造されたと言われている。
 今年の4月16日の朝日新聞で”飛鳥寺の瓦は文様と構造から二つの系統の窯から製造されたと言われていたが、百済の古都・扶余(プヨ)の王興寺遺跡でも同じ二系統の瓦が確認された”と報道された。
 確かに日本書紀にも百済王が日本に造寺工を送ったとある。

 僕は屋根にほとんど瓦を使ったことがなかった、というのも、瓦がまるで波のように幾重にも重なるイメージの甍は本瓦でないと難しいと思っていたから。

 全陶連という瓦メーカーの組合が主催する、国内産の粘土瓦を屋根に使用した建築設計や環境デザインの優れた実施例を表彰した受賞作品を見ていると、どれも美しい屋根の姿、いわゆる甍と言う言葉にピッタンコの姿で佇んでいた。
 どこにその秘密があるかと探っていると、軒と棟のラインが美しい。*1


  屋根で最初に目に入る部位は棟だと思う、棟は、雨に対して一番の弱点である折り曲げ部を、風雨から守る役目と、屋根全体を一体化する重しの役割があるとすれば、棟仕舞に熨斗(のし)を何段も積むことは理にかなっている。
 一方、棟の大きさが社会的地位を計る物差しであったとう説に従えば、棟の飾りの立派さを競うことも自然だ。
 しかし、そのことが、屋根の自由度を奪っていることも確かだろう。
  
 菊川の家では瓦を使うことにした、ポイントは軒と棟だから、棟は7寸の素丸瓦だけで構成し、平瓦は淡路の瓦、三州瓦と比べ小口がピン角で、瓦が重なった時、波がシャープに出るんではないかと思っている。

*1:/見出しの写真は東大寺大仏殿の鵄尾、中段の写真は東本願寺大師堂の屋根:日本の屋根叢文社