制度

 村上春樹氏がエルサレム賞の受賞に際して、エルサレムで行われたスピーチが話題を呼んでいる、エルサレム賞とは、イスラエルが個人の自由や尊厳などのテーマに取り組んでいる優れた作家に贈る賞のこと。

 壁と卵の比喩は文学的で、僕にはその意味するところが理解できなかった、和訳を読んでみてやっと理解できた。
 ガザ侵攻もさめやらぬイスラエルで、どんなスピーチを行うにせよ、すくなからず、雑音は避けられなかったはずだ。

 中国新聞社に掲げられた村上春樹氏のスピーチの要旨、僕は
膝を叩いた部分。
 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

 一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。

 

”制度”この官僚にとって都合のいい道具に、我々は常に頭を垂れてきた、制度という高い壁は、一方では誰も責任をとらない装置でもある。
 当初、社会快適な市民生活を営む目的で制度はできる、しかしいつにまにか、制度を守ることが目的化し、拡張し、硬直し、制度は我々に不自由を抱かせる。

 僕ら設計者も制度の壁にコントロールされてきた、制度と仲良くすることは身を助けることにも繋がる?
 責任をとらないことが心地良いほどに飼い慣らされたのかも?