シャドーワークの破綻?

 シャドーワークの破綻とは、ウイーン生まれの思想家イワン・イリイチが使った言葉で、例えば…建築工事で考えると、仕上げと(クロスや塗装)とその下地工事(ボード張りなど)は別の職種となるが、仕上げの出来映えは、仕上げの職人の腕だけでなく、実は下地の善し悪しでも変わる、下地工事の職人が丁寧な仕事をすれば、結果的に仕上がった状態もクライアントの満足のいく結果になる場合が多い。
 しかし、下地職人が丁寧な仕事をしても、いい加減にしても、それは経済指標には顕れない、この差異は問題とせず、求められる工期内に仕事が終われば、一棟は一棟で経済的には計上される。
 しかし、この差異を放置し、単に経済効率のみ追求していくと、やがて社会も経済も破綻していく…と言う意味だ。



 日本では、この差異を放置することを良しとしなかった、物づくりの職人の世界では、引き続き行われるだろう他の仕事を考え、いい加減にやることは許されなかった、後ろ指を極端に嫌った、それが職人気質であり、その総体が職人の文化だったっと思う。
 そんな暗黙の了解事項は、社会の隅々までおよんび、日本の文化、恥の文化として受け継がれ、見えない部分まで手の跡がある丁寧な仕事を尊んだ。



 あるメーカーの監督と話をする機会を得た、ここで取り上げるほど、珍しい話ではないいであろううが、自分の仕事に照らした時、衝撃的だった。
 自分の知り合いの土地の隣地にこのメーカーが住宅を新築工事を始め、工事中の資材置き場、工事車両の駐車場として借用したいと言って来たとき、何ヶ月か確認したら、”3ヶ月弱”とのこと、嘘だろうと思い、再度聞き直すと間違いなく3ヶ月弱だった。

 このメーカーの仕事をした職人さんに聞くと、ホントのようだ、あまりにも効率を追求するために、現場では丁寧に仕事をしたくてもできないようだ、こんな現場が続けば、今はやるせない表情で話す職人も、至極当然の世界になるのだろう。
 ”要領よく造り早く売る”そこにはシャドーワークが支えた、日本の職人気質がつくりだした物づくりの文化が破綻しかねない状況がある。