土蔵のはじまり
土蔵の始まりはいつ頃か?
この疑問の答えを彷彿させる場面が描かれた絵巻がある、「春日権現験記絵巻」がそうだ。
「春日権現験記絵巻」は 藤原氏の氏神である春日明神に関する絵巻で、1309年(延慶2)3月に左大臣西園寺公衡(きんひら)が氏神である春日明神に奉納したものと言われている。
”「春日権現験記絵巻」の絵巻だと、主屋に火災が発生し、廷内の人々が外観が白一色で塗られた建物に避難する場面が描かれている。
火災の祭に避難して足りる建物であれば、当然、今で言う耐火建築に相当する耐火性能が機能が備わっていると見るべきで、構造的にも、用途的にも、後年に出現する土蔵と言って良い。”…日本壁のはなし:山田幸一・鹿島出版会
後年とは、戦いの必要上築城が盛んに行われた時期(室町の後期ぐらい?)で、築城の工法すなわち、左官の技術や、漆喰が一般的になってから本格的に土蔵が出現したのだろう。
工法は標準的には18の工程ご必要と言われているが、ここから土蔵は量より質の産物と言うことがわかる。
下の写真は掛川市内の酒の蔵本の敷地内に建つ土蔵の改修風景、観音開きは重厚で見応えがある。
敷地内のソメイヨシノを見ながら、”今年の4月、2回目のサクラを眺めた……”と、この仕事に携わっている左官職人が思わず漏らした言葉が印象的だった。