渚から来るもの

 2年ほど前、建築生産の分野を研究対象とする村松秀一東京大学教授は、建築雑誌2007で「パッケージとしての「ハウス」の次に来るもの」と題したコメントを寄せた。
 そこでは、住宅メーカーを、”住宅に生活提案を盛り込み、識別性の高いオリジナル部品を搭載し、ある種のパッケージとして商品化する「パッケージ」方式というビジネスモデルの代表格”ととらえた。
 一方このビジネスモデルは、皮相では地場の中小な工務店をも飲み込み、見分けのつかない住宅を生み出し、地場の工務店の独自性の劣化を指摘した。



 ここでのコメントを求めた編集者の狙いは、”住宅の未来”の姿を”住む”ということと建築の未来を探ることだったので、村松氏は未来の住・住宅の供給のかたちにも言及していた。 村松氏は、2つの点指摘して、この「パッケージ」方式のビジネスモデスの代表格である住宅メーカーのいく末を疑問視していた、2つとは、「住まい手の意識の変化」と「インテグレーション」だ。



 「住まい手の意識の変化」では”生活を入れる箱から生活を展開する場に対する関心が高まり、その需要の変化は、生活の場をでデザインし、生活の場を支えるサービスを構想することに重心が移動するだろう”と、すなわち「質」に塾足が移ると予測していた。

 一方「インテグレーション」に関して村松氏は”建築的な行為の中心が物や技術の適切なインテグレーション”であるとし、問題は誰がこのインテグレーションを担うかであり、インターネットの普及は、物の購入選択がクライアントの手にゆだねられる環境が向上して”産業側によるパッケージの、不透明に見える価格構成に風穴を明けるかもしれない”と指摘した。

 また一方、クライアントが物を選択・購入できる環境が向上したとき、供給側に残されたものは、”物を組み立てる技術と技能のインテグレーションである”とし、しかし、”パッケージ全盛の建築行為を担った人や組織は…半ば流通業的性格を帯び”るが故に、来るべきインテグレーションの主役を担えないのではないかと予測し、新たな核になるものは「技」だと述べている。

このコメントにはずいぶんと勇気をいただいたことを覚えている。



 2年ほどで、この予測のいく末の端緒が見えるかどうかわからないが、最近のメーカーの取り組みを見ると、おおざっぱであるがその方向性がみえるように思える。
次回のブログでこの点について考えたい。