神内神社

passarella2009-12-01

 ”やまかつが、もちにせんと、木の実つき、ひたす小川を、又や、わたらん…… ”     やまかつ:樵(きこり)
紀州風土記」の著者で紀州藩士の加納諸平が、風土記の選修のため熊野を訪れたときに、熊野人々の暮らしぶりを詠った詠草の一文だ。

 ” 熊野山中の民は、古来樫や橡の実などを拾って……餅として食用にした”
                      海原猛氏は「日本の原郷 熊野」

 実際、江戸の中頃まで熊野では木の実が主食として用いられていたらしい、熊野には明治のちょっと前まで、そんな植物採集の風俗が残っていたのだ。

 だからこそ、熊野にはまだなお、プリミテイブなかたちでの信仰形態が残っているのだろう、神内神社もそんな特別な気配に満ちた場所だ。





 訪れたのは午前中だが、にもかかわらず特別な場所であることは肌で感じることが出来た、神内神社は磐座がご神体で、神殿もない、あるのはここが特別なここが神域であることを示す磐座と磐と絡み合いほとんど一体となった樹木だ。

 由緒に「当社の義は近石と申すところに逢初森(アイソメノモリ)というのがあり、そこに(イザナギノミコト)、(イザナギノミコト)天降らせ一女三男を生み給う、この神を産土神社(ウブスナジンジャ)と崇め奉る、よってこの村の名を神皇地(コウノチ)と称す。いつの頃よりか神内村(コウノウチムラ)と改むと言い伝う」とあった。


 後で知ったことだが、ここを遠望すると、花の窟のような大きな固まりとして見えるらしい。