村上春樹氏のカタルーニャ国際賞受賞スピーチが話題になっている.

 村上春樹氏がイスラエル文学賞エルサレム賞の受賞に際して、エルサレムで行ったスピーチも話題を呼んだが、今回はその大部分をフクシマと日本人そして核について語っている。→受賞スピーチ 
 地震津波、台風といった自然の猛威は、日本人の精神性、美意識に通底する無常感、すなわち移ろいゆく姿かたちを愛でるその精神性に、あるいは影響を及ぼしているかもしれないとも述べているが、確かにとも思う。

 そんな風土で培われてきた日本人が、広島、長崎教訓さえ忘れ、何がフクシマを引き起こしたのか、

”ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。…”
と、福島の原子力発電所のことや日本の原子力に対する取り組みへの不審に言及し、フクシマを引き起こした、たとえば倫理であり、たとえば規範が”効率”だと指摘している。


 バブル崩壊後、成長至上主義と精神的な豊かさに規範を置くべきだというせめぎ合いがづっと続いている、多くの人は、経済成長の陰りをひどく恐れている、安全神話ならぬ成長神話だ、僕もその一人だ。

 彼が言わんとするところは、日本の原点は物つくりにあると言いたいのかもしれない、無常観と共にあるもう一つの精神的規範が山川草木悉皆成仏だとすれば、全てのモノに魂が宿るいう深い精神性にこそ日本、日本人の原点があり、魂を込めるという職人の姿勢にこそ日本のモノづくりの原点があるのに、効率を優先するばかりに、魂を込めることを軽んじる、今の日本の姿を憂えている。