鎮守の森と神社を巡る

鎮守の森と神社の密接関係はどうして築かれたのだろうか。

 谷川健一氏によれば、神が人格をもつもっと以前、荒ぶる神の時代に、各地に神祭りが行われる”モリ”と呼ばれる聖地があり、そこはもともと、葬地であった例が多かったらしい。

薩摩、大隅半島には、同族的グループを祀る”モイドン(森殿)”と呼ばれる、死者の霊を迎えて祀る祭地があり、そこはシイ、カシ、クス、アコウなどの大樹が植えられていたという。

 小野重朗氏は「モイドンのモリは遺骸の上に土を盛ることに由来するが、土を盛ったあと大きくなる木も植えたので、後に木のほうに意識が移り、モリという語が造られた」のではないかと推察している。

 詳しくは「日本の神々:岩波新書」よ呼んでいただくとして、神社の起源である森を考える時の大きなヒントになる。


 荒ぶる神の時代、聖地に神が降臨する場所を常緑樹で囲う神籬(ヒモロギ)と呼ばれる依り代を立てるが、後年には仮設の小屋を建てるようになり、その後壊さずに常設としたのが社(ヤシロ)の原型であることは良く知られている。
 (ヤシロは祭りの時に神が降臨する土地を指していたが、後年神社を表す言葉になった)

 このように葬地と聖地は木(モリ)交いして密接で不可分の関係にあり、当初数本の木でも依り代を”モリ”と称していたが、後年”モリ”は立派な森に成長していったと考えても不思議はない。

 鎮守の森を巡る旅は、おかげさまで満席の盛況、案内人は宮脇昭氏、鎮守の森に対するどんなお話が聞けるか楽しみではある。
 今回の旅は、掛川市内では、立派な樹叢の鎮守の森をもつ、阿波々神社、事壬八幡宮、龍尾神社を巡る。